松浦弥太郎へ山本由樹がきく、人にとってのメディアの在り方 【後編】
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― 古書の街・神保町の『矢口書店』で落ち合い、ウェブメディア『くらしのきほん』誕生のいきさつまでを伺った前回。松浦さんは「この対談を終えたら、それぞれお勧めの本を交換し合いませんか」と、山本さんに声をかけた。
「松浦さんに本を勧めるなんて、緊張するなあ」と苦笑いしながら、書棚に目を走らせる山本さん。
本屋を出てから、山本さんは行きつけのジャズバー『BIG BOY』に松浦さんを誘う。じっくり腰を据えて話を聞きたかったのは、伝統と格式のある雑誌『暮しの手帖』に、どのようにして今の時代にあった息吹を吹き込んだのか。その経緯と松浦さんの「視点と発想」。
“いい雑誌”を作ることはできても
“売れる雑誌”を作るのは難しい
山本 出版の世界にいた松浦さんが、ウェブの世界に異分子として入っていき『くらしのきほん』というメディアで新しいイノベーションを起こした。でも違う世界に飛びこんだ、と言えば『暮しの手帖』もそうですよね。日本で最も格式と伝統のある雑誌を手がけるにあたり、自分にはどういうことができる、と考えていたのでしょうか。
松浦 正直に言うと、できると思ったことは何もなかったですね。むしろ「僕なんかが『暮しの手帖』をやっていていいのか」と、辞める最後の最後までずっと考えていたくらい。ただ、僕を信じて「やってほしい」と引き入れてくださったのが、当時まだご存命だった創刊者のひとり大橋鎭子さんで、そのことに対する感謝の気持ちが強かった。それで「どうやって売れる雑誌にするかが僕の使命だ」と覚悟をしたんです。
山本 売れる雑誌、とおっしゃいましたが、それが松浦さんに課せられたことだったのですか?
松浦 全盛期は100万部近くを刷っていた『暮しの手帖』ですが、数十年を経て読者も歳を取り、明らかに発行部数が減っていました。外部のアートディレクターに依頼するなど、低迷を乗り越える試みはしていたようですが、なかなか結果は出なかった。そんな中でのお声がけです。『暮しの手帖』は長年“いい雑誌”を作ることに目を向けてきたわけですが、せっかくの素晴らしい世界観も、読者のために役立ち、買っていただくことで初めて存在理由が生まれる。つまり僕の使命は、存続のために利益をあげることだったんです。だから在籍していた9年は「編集」をしてきたという意識ではなく「商売」をしてきたと思っているんですよ。
広告目線の読者設定をしない
「家族で読める雑誌」に
山本 僕もかつて『女性自身』という歴史の長い雑誌にいたのですが、年月を経て読者も年を取っていくと「いま、誰に向けて作っているのか」という点があいまいになりやすいと思うんです。編集者同士も、その「誰に」を共有できないまま、淡々と同じ作業を繰り返すだけになっていく怖さ、というか。
松浦 それはよく分かります。入社当時の購買読者は50〜70代が中心だったのですが、生活がテーマの雑誌として、これからは生活の中心にいる30代の人たちに向けた本を作っていこう、と設定したんです。すると「いま読んでくれている高齢の読者はどうなる」という声が社内からあがりました。いま大多数の読者を大切にするのはもちろんだけれども、変化の著しい新しい生活の中心にいて、これから暮らしを充実させていく若い人たちに役立つ本を作っていかない限り、近い将来『暮しの手帖』は無くなってしまう、と話をして。
山本 そこが最初の大きいシフトだったのかもしれませんね。
松浦 でも実は、30代だけを狙ったのではないんです。イメージは、購買層の中心である30代の女性が本屋で買ってくる。すると一緒に住んでいる母親やおばあちゃんが「この本いいわよね」と自分たちも読み、母子のコミュニケーションが生まれる。そのうち父親が「ちょっと読んでみるか」と手に取って「ふうん、男の俺でもなかなか面白いな」と思う。そういう世代を超えた家族で読める雑誌にしたい、と書店や取次にプレゼンテーションしたら「この時代に家族全員で読める雑誌なんて売れるはずがない」と、とても冷ややかに言われました。
山本 雑誌は「35歳の働く女性」とか縦割りで年齢と属性を区切るのが一般的ですからね。やめろ、と言われるのは想像がつきます。
松浦 それでも僕の中では「必ず売れる」という確信がありました。何歳のどういう人、という設定は広告を取るために必要という、いわばマーケティングで、幸いにも『暮しの手帖』には広告がありません。家族で読める本を作ることで差別化ができるし、必要とされる。そう考えて大きく舵を切ったんです。
人は「自分を助けてくれる何か」に
お金と時間を費やしている
山本 僕は従来の縦割りで雑誌を作ってきた側ですから、ものすごく興味深いお話です。そのように老いも若きも、男も女も読者、と考えたとき、どういう手順で世界観を言語化していったのですか。
松浦 まずは「雑誌の人格」を取り戻す必要がありました。というのも、僕が入る前の『暮しの手帖』は、20~30年に渡り、同じく創刊者である花森安治さん※4の人格を、あたかも彼がまだいるかのように使い続けていた。
- ※4初代編集長。創刊から30年に渡り、自ら表紙、挿画、執筆、レイアウトを手がけながら指揮を取ったカリスマ的編集者
山本 花森さんという非常に優秀な編集者の仕事を、継続していくことが日常になってしまっていたのかもしれませんね。
松浦 いまこの雑誌の中で、誰が笑ったり泣いたりしているのか。そういう人格を取り戻すには、この雑誌を作っている以上「松浦弥太郎」を前に出すしかありません。だから僕がひとりで企画を考え、ほとんどの原稿に関わりました。もともとは20人以上いる編集部員が、話し合いながら企画を決めるようなやり方です。非常に民主的ではありますが、特化したものを作るという面では難しさがありました。そこで編集部も人を減らして。最も少ないときで7人位だったでしょうか。
山本 7人! 3分の1以下になったんですか。
松浦 ええ。さすがにきつかったけれど、純度と精度を高めなければいけない、と思ったんです。そこからの数年間は「どうやったら売れる雑誌になるのか。世の中の人は何にお金と時間を使うんだろう」と毎日毎日考えていました。
ある日クタクタに疲れた深夜の帰り道、気持ちがどうも落ち着かなくて、まっすぐ家に戻る気になれないことがありまして。気を紛らわせようとコンビニに立ち寄ったのですが「なんで僕は目的もないのに、夜中のコンビニをウロウロしているんだ」と思って。そのときに、気づいたんです。僕は今日の悲しみとかイライラとか、訳のわからない不安を少しでも和らげてくれるものがあるかもしれない、と思ってここにいるんだ。それはアイスクリームかもしれないし、雑誌かもしれないけれど、人はお金と時間を、自分を助けてもらえることだけに使いたくて、それをいつも探しまわっているんだ、と。
現実を忘れさせることも
雑誌ができる大切な役割
松浦 『暮しの手帖』は、そういう日々疲れたり、弱ってしまったり、前向きになれずに、希望を失った人を助ける本にならなくてはいけない、と考えました。それからは料理にしても手芸にしても、何かの取材だとしても「この企画は、本当に人を救うことができるだろうか」ということを根っこに持って、さらに言うと「いやなことを忘れさせることができるか」「現実逃避させられるか」という目線で作り直していったんです。
山本 “現実逃避”という言葉が出てきましたが、それはどういう意味でしょうか。料理や手芸は生活の現実そのもの、という気もしますが。
松浦 それにはまた別の背景があるんです。2011年に東日本大震災があったとき、社内からも読者からも「震災の現場を取材すべきだ」という声があがりました。しかし僕は誌面で一切、震災のことも放射能のことにも触れなかったんです。というのも、テレビを観ても新聞を読んでも、ラジオを聴いても津波の話。被害の話。これ以上、世の中の人の不安をあおりたくなかったんですね。世の中も停滞したムードで、全体的に雑誌の部数は落ちていきました。そんななか、なぜか『暮しの手帖』は部数が落ちずに伸びたんです。
山本 その理由は分かったんですか?
松浦 いえ、狙いがあったわけではないので分かりませんでした。ただ仮設住宅に『暮しの手帖』をお送りしていたところ「人気で取り合いになっていますよ」と伺って。そのときに、たとえ十分な食材や調理設備がなくても、寝る前においしそうな料理の記事を見て幸せな気分になりたいのではないか、とふと思ったんです。布団のなかで『暮しの手帖』にある本当に豊かな、何も心配のない世界を見て、現実を忘れながら眠りにつきたいのではないか、と。
山本 心に響きますね。
松浦 実際に僕自身も、若いころ学校にも行けなくて友だちもできないとき、雑誌を眺めながら嫌なことを忘れていた時期があります。何度も何度も好きなページを見るのは、楽しいという以上に、満たされない気持ちを忘れさせてくれる何かがあった。そこで「そうか、現実逃避できる、ということも雑誌が人の役に立つひとつの要素なんだ」と気がついたんです。
戦後も現代も、世の中の人が
求める原点は同じだった
山本 『暮しの手帖』の役割は、弱っている人を助けることであり、現実をひと時でも忘れさせ、気持ちを和らげることである。松浦さんが気づいたその視点は、戦後『暮しの手帖』が爆発的に認められたときと状況が似ているように思えますね。
松浦 そうなんです。自分の手で豊かなものが生み出せるよ、ということだったり、外国のすてきな物語であったり、戦後の何もなかった時代に、少しでも憧れの世界を見せてあげる。日々の苦労の中でそういう雑誌を読んで現実逃避するというのは、明日への希望が持てる、ということだと思うんです。役に立つ家事の雑誌、というのも大切ですが、やはり困っている人を助け、日々の嫌なことを忘れられる世界観を作っていくことが大事なんだ、とやりながら気がついていったんですよね。
山本 それってもしかしたら『暮しの手帖』の原点なのかもしれません。
松浦 確かにそうですね。だから常に心に留めていたのは、この1ページで人を幸せにできるのか、書くことで誰かを傷つけたり、困らせたりすることがないか。毎号、校了を迎える最後の最後まで、そこを考えぬいたというのはあります。読者にお金を出して買ってもらい、貴重な時間を使って読んでいただく、そのためにはどういう雑誌であるべきなのか。見つけた答えを信じて自分なりにずいぶん取り組んだ、とは思います。完璧にできたかどうかは分かりませんが。
山本 松浦さんは、経験がないところから編集長になられたからこそ、より純粋に「編集」を突き詰めていらっしゃるように思えます。
松浦 いえ、必死だったからですよ。売れる雑誌を作って収益を上げないと自分がここにいる必要がない、という気持ちで毎日押しつぶされそうでしたから。読者にもよく怒られましたし、僕よりも社歴が長い編集者もたくさんいましたから、何ひとつ気が抜けなくて。入社を決めたときの部数が10万部で、それを「20万部にします」と約束をしていたのでね。
山本 達成までに何年かかったんですか。
松浦 ちょうど9年かかりました。当初は「なんとか5年で」と考え、自分自身もある種の広告塔となって取り組みましたが、5年では無理でしたね。約束を果たしてから退社したことにはなりますが、入社8年目に大橋鎭子さんと妹の芳子さんが亡くなられましたので、おふたりに約束を達成した報告ができなかったのが一番の心残りです。
「雑誌にもまだ発明ができる」
ウェブの経験が生んだ気づき
山本 これから松浦さんが何をしていくのか、多くの人が興味を持っていると思います。『くらしのきほん』を続けながら、そこからスピンアウトしていくのでしょうか。
松浦 これから先『くらしのきほん』は、投稿をメインにしたツールとしていくことを考えています。まだマネタイズしていませんので、さらにクオリティを上げていきたい。
山本 広告を取るようなビジネス展開もあり得ると?
松浦 もちろん考えられますし、実際に引き合いもいただいているのですが、僕の中ではまだプロトタイプですし完成にはまだまだ、という状態です。もう少し我慢ですね。メディア作りを考えると、『くらしのきほん』とは別の、雑誌をまた作りたいんですよ。
『暮しの手帖』を経て、ITサービスの裏側を学んだ『クックパッド』での短いけれども濃厚な1年半を終えた自分が何をやりたいか、と考えると、紙の雑誌がいい。『くらしのきほん』も僕にとっては発明でしたが、雑誌にもまだ新しい発明ができることに気がつきました。雑誌不況と言われていますが、読者やユーザーの感覚も日々変化していますから、今の彼らがワクワクするものがあるはずなんです。
“スマホ疲れ”を経て見えた
実体のあるものの価値
山本 2016年の春に発表された『メディア環境研究所(博報堂DYメディアパートナーズ)』の調査によると、スマホがメディアの中心になるデジタルシフトが2011年からずっと続いていて、普及率がとうとう7割に達した。その普及の過程では、テレビや新聞、雑誌など既存メディアの価値が下がっていたのですが、2016年になって急に価値が上がり始めた。その理由が“スマホ疲れ”なんです。
松浦 そうでしょうね。
山本 スマホが生活の中心であることは変わらないんだけれども、同時に他のメディアも見直され。
松浦 ただ、それで本屋に行く人が増えたとしても、今までと同じような雑誌が並んでいてはダメで、そこに何か新しい発明がない限りは買ってもらえない気もしています。
山本 どういう雑誌にするのか、イメージはもうできているのですか?
松浦 はい。僕のやることですから、扱うのはライフスタイルというか日々のこと、暮しのこと。『暮しの手帖』で学んだのですが、あの雑誌がビジネスモデルとして成功した理由のひとつは、流行の情報を何ひとつ載せていないからです。トレンドの情報がない、ということは一年後に読んでも古くない。つまり初めて読んだ人にとっては、過去の号も新刊同様に感じられる。だから、販売する方法と場所さえあれば、雑誌なのにバックナンバーの増刷を繰り返すことができるんです。
山本 書籍と雑誌の中間のような立ち位置であるわけですね。そこに『クックパッド』で学んだデジタルの手法も合わせて作られるのでしょうか。
松浦 はい。そういう在り方もヒントになる、と思っています。もちろん、どんな内容にするかが難しいし、雑誌としての形態をどうするかなど、新しいアイデアをもっと詰めこまなければいけない、と思うのですけれどね。
山本 さっき書店で一緒に本を見ていたとき、松浦さんが本を触りながら「この手触りはデジタルにはないんだよな」とおっしゃっていたじゃないですか。アナログなメディアに気持ちが向いているのかな、と思っていたんですよ。
松浦 やはり、実体のあるものにこそ価値がある。もっと言えば、「所有できること」。そこにしか価値がないんだ、というところに帰ってくるのではないかと思うんですよ。これから一次情報を探すのが難しい時代になる、と先ほどお話ししましたが、僕はこれからの時代はいかに一次情報を自分が所有できるか、ということに人はお金を使うし、そこで人を助けることができると信じています。いかに今の時代の人が新しさを感じ、明るい未来に希望が持てるようなプロダクトを自分が作り出せるか。この年齢になると、ラストチャンスかもしれません。やれるかどうかは分かりませんが、チャレンジはしたいですよね。
今までにない新しいメディアを
作るタイミングが来ている
山本 せっかくですから、最後にぜひ本の交換をしましょう。
松浦 それでは僕から失礼しますね。選んだのは『ジョン・レノン PLAYBOY インタビュー』。これは集英社が出しているんですけれど、横尾忠則さんが手がけた装丁がものすごくかっこいいんです。タイトルが表紙に小さくしか書いていないし、背表紙に至っては日本語がない。こんなこと普通はありえないですよね。僕はこれを横尾さんの隠れた名作だと思っているんです。ジョンのインタビューの内容も、素晴らしいことが書いてある。
山本 最近またビートルズを聴きなおしているところだったので、嬉しいなあ。これは大切にコレクションしておきますね。僕が選んだのは雑誌『ユリイカ』のル・コルビュジエ生誕120年記念特集。
松浦 コルビュジェ大好きなんですよ。この号は知らなかったですね。
山本 伊東豊雄さんと藤森照信さんの対談があったり、『アルジェの詩』というコルビュジェの物語が本人のスケッチ入りで載っていたり。『ユリイカ』は僕にとって、捨てられない雑誌の代表選手。さっきのお話のように100年残るもののひとつだな、と。今日は松浦さんと初めてじっくりお話をして、僕の中で深い共感と学びがありました。
松浦 山本さんにも、ぜひ「新しい雑誌」を作っていただきたいですね。今までにはないメディアを作るタイミングが来ている、そんな予感がしています。
神保町の『矢口書店』で一緒に本を選んでいる時から、松浦さんの気持ちが再びアナログに帰ってきているのではないかと感じていました。
「実体のあるものにこそ価値がある。もっと言えばそこにしか価値がない」という言葉は、ウェブメディアを突き詰めて考えたひとつの結論なのだと思います。
時代はらせん状に回り続けると僕は思っていますが、雑誌というメディアのあり方もモバイルシフト前と後では違うはず。
今の時代にどんな雑誌を「発明」するのか、松浦弥太郎の動向からは目が離せません。
山本由樹
松浦 弥太郎(まつうら やたろう)
1965年、東京都生まれ。文筆家、書店店主。10代での渡米を経て、2002年にセレクト書店の先駆けである『COW BOOKS』を中目黒に開業。2005年から『暮しの手帖』編集長を9年間務めた後、2015年に『クックパッド株式会社』に入社。ウェブメディア『くらしのきほん』を立ち上げ2016年12月に退社。2017年、『株式会社おいしい健康』共同CEOに就任。ユニクロ『LifeWear Story 100』の責任監修を手掛ける。2018年には、博報堂ブランド・イノベーションデザインと協業し、インナーコミュニケーションプログラム『じぶんのきほん』をスタート。ラジオ番組『かれんスタイル』(NHK第一)ほか、雑誌連載も多数。
『今日もていねいに』(PHP文庫)『考え方のコツ』(朝日文庫)『100の基本』(マガジンハウス)他、著書多数。
山本 由樹(やまもと ゆき)
1962年、福岡県生まれ。編集者、コンテクスト・クリエイター。1986年『光文社』に入社、『週刊女性自身』で16年、その後『STORY』創刊メンバーとなる。2005年~2011年まで同誌編集長。2008年『美STORY(現 美ST)』を創刊し、『国民的美魔女コンテスト』を開催。『美魔女』ブームを仕掛ける。2013年に『株式会社gift』を設立し、『DRESS』(幻冬舎)を創刊。2015年『株式会社編』を設立。2016年から2017年にかけて開催された『ローソンドリームアーティストオーディション』を総合プロデュース。2017年7月にフリーマガジン『TOKYO VOICE』を編集長として創刊。2017年9月まで日本テレビ『スッキリ』でレギュラーコメンテーターを務める。
著書に『欲望のマーケティング』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『会社を辞めても辞めなくてもどこでも稼げる仕事術』(共著・藤田晋氏ほか、SBクリエイティブ)。
INTERVIEW/山本由樹(編) PHOTOGRAPHY/七咲友梨 EDIT/山若マサヤ TEXT/木内アキ DIRECTION/小野洋平(Irep)